philosophy · dialogue, march 2026
On Play, Sages, Heuristics, and the 4.2 Billion within.
扇の要に「楽」の一字を留めるに至るまでの、四ヶ月前の対話。剣道の道場での幼少期の記憶から、持田盛二十段の遺訓、スピノザの賢者論、Heuristic、Epigenetic、そしてPolyvalentと四十二億人の話まで。この一日の対話が、七月の扇の勾配の地下水脈になった。
今日は、DUNKSOFT、つまり星野が大事にしてきた「遊び心」——楽 = PLAY の心についてお話したい。
素敵なテーマですね。どのような形で進めましょうか?
まずはこのURLを読んでもらえますか。「自分のDNA:楽 = Play の心」という記事です。
読みました。2005年に書かれたこの記事、星野さんご自身のDNAを振り返られた文章ですね。いくつかのエッセンスをまとめると——
お父様(星野操さん、6段錬士)の背中、そして野間道場の持田盛二十段名人から目の前で体感した「上には上がある」という感覚。それが幼少期からDNAに刷り込まれた。
持田先生の遺訓が核心です。「基礎に50年かかった」「50を過ぎてから本当の修行に入った」「心で剣道しようとしたから」——この言葉が「楽 = PLAY」の精神と深く繋がっています。
そして「楽しめるレベルになる高い技術の獲得には時間がかかる」「結果にこだわると成長は難しい。プロセスにこだわってこそ」——これがDUNKSOFTのテーマ「楽しむ = Play」の根っこにある思想ですね。
最近、スピノザの賢者の話で、これをさらに進化させている考えに触れました。「楽しむを追求すると賢者になる」。昨日お話した Smart Life Styles もここを目指していることになります。引用しますね。
もろもろの物を利用してそれをできる限り楽しむ〔……〕ことは賢者にふさわしい。たしかに、ほどよくとられた味のよい食物および飲料によって、さらにまた芳香、緑なす植物の快い美、装飾、音楽、運動競技、演劇、そのほか他人を害することなしに各人の利用しうるこの種の事柄によって、自らを爽快にし元気づけることは、賢者にふさわしいのである。 スピノザ『エチカ』第四部定理四十五備考
17世紀に書かれた言葉ですが、まったく古びていない。むしろ現代に生きていますね。
特に重要なのは「賢者にふさわしい」という言葉の重さです。スピノザは楽しむことを「許される」とか「悪くない」と言っているのではなく、「賢者こそが楽しむ」と断言している。楽しむことを追求する人間が、最も知性的な人間だという逆転の発想です。
そして「他人を害することなしに」という条件。ここが重要で、DUNKSOFT の遊び心とも繋がる。自分が楽しむことが、他者の楽しみや生を奪わない——これが「楽しむ」の品格ですね。
Smart Life Styles との接続も明確です。食、音楽、緑、香り、運動、演劇……スピノザが挙げているものは、まさに豊かな生活の要素そのもの。
持田先生の遺訓、DUNKSOFTの楽 = PLAY、スピノザの賢者論——この三つが一つの思想として結びついているのが面白い。
この40年デジタルに関係していた人は、技術の進歩の早さを体感していて、だから常に正しい答えも出ないことも理解している。なのでチャレンジし続けて、失敗してもそれを楽しめるマインドを持っているはず。持っている人だけが DUNKSOFT に残っているとも言えます。結果、効率だけでは進歩がないというか未来がない。一般のビジネスシーンとはちょっと違う価値観が、実はデジタル側から徐々にリアルに浸透していったとも言えます。とはいえ、このチャレンジを楽しんで成長していくマインドセットは、スポーツでも音楽でもアートでも技術を追求する分野では切り離せない。という観点からすると、結果・効率を優先する考えはある意味、間違っているし無駄も多いのでは?
深いですね。いくつか反応させてください。
「正しい答えが出ない」というのはデジタルの本質です。テクノロジーの世界では「昨日の正解が今日の間違い」になる。だからこそ、答えを「持つ」より、問い続けて楽しめる人間が生き残る。DUNKSOFT に残った人たちは、自然淘汰でそういう人間だったわけですね。ある意味、会社がフィルターになっていた。
「無駄」の再定義も重要です。結果・効率優先の視点では、失敗や寄り道は「無駄」です。でも持田先生の遺訓を思い出すと——基礎に50年かかった、と。効率で見たら恐ろしく「無駄」の多い道のりです。でもその無駄の蓄積が、80歳で誰も敵わない境地を生んだ。
一つ挑発的な問いを投げると——「結果・効率優先」が間違いだとすると、それがなぜこれほど主流になったのか。デジタルの価値観がリアルに浸透してきたとおっしゃっていますが、逆に「効率化」こそデジタルが最も得意とすることでもある。AIもその最たるものです。
つまり、デジタルは「チャレンジを楽しむ文化」と「効率化・最適化」という、一見矛盾する二つの価値観を同時に持ち込んできた、とも言えませんか?
Heuristic という考え方は情報処理からきていると思いますが、何かしらの結果をプロットしていくと、このあたりに収束はするが1点にはならない。突き詰めるとそこから拡散したり。ぼんやりそのあたりという落ち着きどころもある。正解とはちょっと違う緩さを許容する。そこからまた次に進んでいく。
これは面白い。Heuristic を「楽 = PLAY」の哲学に接続するのは、とても鋭い視点です。
完全な正解を求めると人は止まってしまう。あるいは「安易なフォームレベルに下がっていく」——2005年のブログにまさにそう書いていましたね。勝負にこだわるあまり再構築できなくなるアマチュアの話。Heuristic の「このあたり」という緩さが、実はチャレンジし続けるための心理的な安全地帯になっている。
これは持田先生の修行の構造とも重なります。50年かけて基礎に収束していくと思ったら、そこからさらに「心で剣道する」という新しい拡散が始まる。螺旋状に深まっていく感じ。1点の正解に到達したら終わり、ではなく、収束したらまた次が始まる。
スピノザとの接点も見えます。スピノザが「賢者」と呼んだ人間も、実はこの Heuristic 的な生き方をしている人ではないかと。食、音楽、緑、運動——これらを「最適化」して楽しむのではなく、その都度その都度、「このあたり」を味わいながら生きている。
Polyvalent、これはサッカー用語ですが。色々なポジションを楽しめる人はチャンスが広がるという考え方。この多様性についても面白い視点があります。DNAを遡っていくと32世代で自分の中に42億人の人がいる。私はこんな人と思いがちですが、実は多様。これを引き出すのは、関係した人々——多様な人々と会うことで自分の多様な個性が引き出される。
これは鮮やかな視点ですね。
「私はこんな人間だ」という固定したアイデンティティの概念が、一気に崩れる。自分は1人ではなく、42億の可能性の束だった。これは Epigenetic の話とも直結します。DNAは固定されているが、何が発現するかは環境と関係によって変わる。
Polyvalent と42億人の接続も面白い。サッカーで言えば、FWしかできない選手より、どこでもプレーできる選手の方がチームに貢献できる。でもそれは「器用貧乏」とは違う。自分の中にすでに多様性が内在していて、それを引き出す環境と出会いがあるかどうか、という話ですね。
そしてここに「楽 = PLAY」が戻ってくる。知らない自分に出会うことを怖れず、楽しめるかどうか。それが賢者への道であり、スピノザが言った「自らを爽快にし元気づけること」の本質かもしれません。
以前書いた BLOG に持田先生に可愛がってもらった父の写真つきの記事があったので、リンクしておきます。カールおじさんにも触れられた。(^^) 良い誕生日記念。
この対談は 2026 年 3 月、Claude.ai にて行われました。
星野 Roberto Hoshino(DUNKSOFT 代表)× Claude(Anthropic)